兵庫県福崎町

應聖寺の沙羅(さら)

季節を歩く
 「日本民俗学の父」柳田国男の故郷として知られる播州・福崎町。生家の残る市街地から市川を渡り、広い田園地帯を北西に進んだ山里に、天台宗の古刹・應聖寺(おうしょうじ)がたたずむ。梅雨が戻り小雨が降ったり止んだりする日、10年ぶりに訪ねたこの寺では、釈迦ゆかりの沙羅の木々がきょう一日限りの花を開かせていた。

  きょうを生きる花のいのち輝く 

 睡蓮の咲く池にかかる石橋を渡り、サツキの緑衣をまとって横たわる石の涅槃(ねはん)像を拝んで、山門をくぐる。左側に向かうと本堂西側の沙羅の木に白い花が輝いていた。釈迦涅槃図に描かれたインドの沙羅双樹とは違う種類だが、夏椿と呼ばれるように椿に似た五弁の白い花で花芯は明るい黄色と、清楚な中に輝きがある。 一日で咲いて散る花だけに一斉に咲きそろう華やかさはないが、今は花の数が多い時期のようで、カエデをはじめ周囲の木々の緑の中、雨滴をのせた真っ白の花びらと黄色い花芯が映えている。

 沙羅林と書かれた道標に導かれて奥に進むと、緩やかな斜面の苔の上に沙羅の木々が何本もある。すでに咲き終わって落ちた花も多く、雨を受けて一段としっとりした苔の上には、同心円を描くかのように落花が広がっていた。その一方で、白くまんまるに膨らんで開花も間近となったつぼみ、まだ小さく緑の堅いつぼみも見られ、一つの木にさまざまな花の姿が見られる。

   ◇無常の中にこそ無限性

 裏山に続く斜面にはここ数年に植えられた木も多いが、沙羅としては高木で木肌がとくにつややかな木は見覚えがあった。その木を見ていると、10年前の2001年6月に二度訪れた時のことを思い出した。9日は沙羅の花が咲き始め、29日は落花が広がっていたが、当時の桑谷祐廣住職から「一日一日をせいいっぱいに生きる沙羅の花は、土に還ってもそれに替わるかのように、また来年の夏に花をつけます。無常観の象徴として語られる沙羅ですが、人生ははかないというだけの後ろ向きの無常観に浸るのでなく、無常の中にこそ無限性があることを感じとってもらえればと思っています」とうかがった。「平家物語」などで用語としては知っていた諸行無常ということばだが、この「沙羅説法」で心によく受け止められた。

 当時、祐廣師は68歳。10年前に患ったすい臓がんを乗り越え、「泥の中から美しい花を咲かせる蓮や、すがすがしい沙羅のように花を通して仏の心を伝えることができれば」と続けてきた花の世話や石彫の話は途切れることなく、そうした体験に裏打ちされた「人は自然の心の中に生かされているんです」という一言一言にひかれた。

 その時は思ってもいなかったことだが、私も昨年5月に大腸がんが判明、まもなく手術を受けた。祐廣師は私が出会った翌々年の2003年に亡くなられたと聞いていたが、病床で改めてこの時のことばを思い起こした。6月中旬に退院して應聖寺をもう一度訪れようと思っていると、手術の合併症が起きて月末に再入院、7月と12月に別の手術をさらに2回重ねることとなり、病が治まった今夏になってようやく再訪できた。

 時期も天候も違い、見ている私自身も変化があったのか、記憶している10年前の風景に加えて新たな情景が見えてくるような気がする。祐廣師も句集を出しているだけに、木々の間に伊丹三樹彦氏をはじめ多くの俳人や愛好者の句碑が並ぶ。今回は神戸新聞俳壇選者の伊丹公子氏の「天界へ咲きつぐ沙羅のはなのいろ」が特に印象に残った。10年前訪れた時に記憶に残った祐廣師の夫人の孝子さんの句「沙羅咲いて去年の客とまた出逢い」も、その後の経験によって一層近く受け止められるようになった。

  ◇「一期一会」で見る一輪一輪

 ハンゲショウ、ユウスゲ、キョウカノコなどの草花が咲きそろう池泉鑑賞式庭園を座敷からゆっくり眺めた後、現住職の桑谷祐顕師(48)に話をうかがった。父であり師匠であった祐廣さんは、がんの再手術をしてちょうど1年ほどして死期を悟り、6月2日に亡くなったが、その翌朝、その年初めての沙羅の花が平年より1週間も早く咲いたという。

 天台宗の大学ともいえる叡山学院(大津市)で教授・学監として教育や研究に当たっている祐顕師は、寺を受け継いだ後、台風で木々が倒れた場所に沙羅の幼木を植えて200本の沙羅の林とした。「もともと日本の山に自生している木なので、山すそにあるこの寺では環境も適していてよく育つのでしょう」というだけに、自然な林のたたずまいを見せている。

 6月の咲き始めのころ、団体ツアーで訪れる人の中には、お目当ての沙羅の木を見て「なんや、ちょっとしか咲いてないやんか」という人もいる。そうした時、祐顕師は「365日もかかって一日だけ咲く花なんです。あすにはもう散ってしまっていてもう見られない一期一会の花なんですよ」と語りかける。それを聞くと、はじめは不満顔だった人々も一輪一輪の花を満ち足りた表情で見るそうだ。「沙羅の花は朝咲いて晩には散り、大雨が降って半日で終わることもあります。何事も始めがあって終わりがあることを知って、あしたではなくきょうを一生懸命生きていただきたいのです」。

 巡り来る夏にまた開き、そして散り、それぞれの人の思いが寄せられる沙羅。私も、きょうこの日だけの花を見ることができたというさわやかな気持ちで山門を後にした。

                                      (文・写真  小泉 清)


    〔参考図書〕 藤井金治、桑谷祐顕「應聖寺の四季」東方出版、2007
             桑谷祐顕ほか「花説法」山と渓谷社、2006





      ◇案内情報

・花期  沙羅は6月中旬〜7月上旬、庭園のセッコクは5月中旬〜6月中旬

・交通 JR播但線福崎駅から北西へ徒歩かタクシー 。車なら中国道福崎ICから北西へ約7キロ

・電話 應聖寺(0790・22・1077) 、福崎町役場(0790・22・0560) 

      2011年7月1日取材


  

   ☆遠望近景

<睡蓮>

<沙羅樹と碑>

<無常の花>

<落花>

<金糸梅>

<庭>

應聖寺の沙羅の花
降り続いた雨でしっとりした表情の沙羅の花。きょうこの日しか見られない一輪、一輪だ